ある年代にしかあらわせないものがある
ユリア・リプニツカヤ選手のプログラム
「 シンドラーのリスト 」 はその最たるものだろう
演技の最初と最後の表情は、
彼女にしか醸し出せない余韻をのこす
途方にくれてとまどう少女
「 おかあさんが居ないわ、お兄ちゃんも居ないのね
心細いし、寒いし、
わたしどうしたらいいのだろう
どこに行ったらいいのかしら
もすこし歩いてみようか
どこかになにかがあるかもしれないもの 」
守られねば生きてゆけない子供は
あまりにちっぽけで、力も知恵もないのだけど
彼らの強みは、絶望がないこと
どんな場所でも、なにかいいものがないだろか?
おもしろいことがないかしら?
と思ってあるきだす
コンクリートの切れめから知らぬ間に、
かよわく柔柔な新芽が姿をあらわすような
光と、希望と、たくましさがある
そんな情景が浮かぶ名プログラムだ
どのエレメンツも一級品ながら
ジャンプの低さや、
どこかぎこちなさが漂うスケーティングは
15歳ならではの特性である
それらすべてが相まって、赤い少女になっている
これこそが、今の彼女にしか表せない世界なのだと思う
今季、大きな得点をたたき出している羽生結弦選手は
これからのフィギュア界を背負う、
オリンピックのメダル候補に堂々と躍り出た
あたらしい「 ロミオとジュリエット 」を
フリーに使用しているが
数年前の日本人振付師による、
最初の「 ロミオとジュリエット 」が強烈すぎた
当時の彼は今より体力もなくて、
技術的にも劣っていたが
もはや羽生選手のプログラムは
これしか思い出せないほどになっていて
若くて未熟なロミオの、繊細さと、心弱さと、
不安定な危うさ
荒ぶる情熱がばちばちと四方八方にとびちって、
じぶんの火花にじぶんで傷ついて、無様に倒れこんで
それでも叫びつづけるしかない少年の心が、
リンク一杯に充満していた
羽生選手の成長はめざましいばかりだが
今のロミオに透明な狂気は宿っていなかった
彼のロミオは、かつての彼だけに滑れた
幻のプログラムなのかもしれない
いまや陳腐にしかきこえぬ 「 表現力 」
という言葉をこえた「 なにか 」 こそが、
心をとらえる核心なのだろう
それは時に、意思すらない
「 あるがまま 」 の姿だったりもする